キャリア変革者の足跡

安定した企業法務管理職から、社会課題解決NPOの運営責任者へ転身した変革者の物語

Tags: キャリアチェンジ, NPO, 管理職, 法務, 社会貢献, セカンドキャリア, 働きがい

安定したキャリアの築き方や、組織内での昇進を目標とすることが一般的とされる中で、全く異なる分野、特に非営利の世界へ転身する方々がいます。長年企業で法務・コンプライアンス部門の管理職を務め、安定した地位を築きながらも、特定の社会課題への強い関心からNPO運営の道を選ばれたA氏(仮名、50代)の事例を通して、その変革の軌跡を辿ります。

A氏は、一部上場企業の法務部門で管理職として20年以上のキャリアを重ねてきました。法務戦略の策定、リスク管理、国内外の契約交渉など、高度な専門知識とマネジメント能力を駆使し、組織の中で確固たる地位を築いていました。しかし、順調なキャリアパスを歩む一方で、社会の片隅で発生している特定の課題に対し、個人的な関心を深めていました。それは、高齢者の孤立問題でした。

転身の動機と、安定のキャリアの中で感じていたこと

A氏がNPO運営に関心を持つようになったのは、自身の親が直面した介護や地域社会との繋がりに関する課題を目の当たりにしたことがきっかけでした。企業法務という分野は社会のインフラを支える重要な役割を担いますが、A氏は自身の仕事が「目の前の困っている誰か」に直接的に貢献しているという実感を抱きにくくなっていたと言います。「安定した地位や収入は確かに恵まれていましたが、どこかで社会全体との間に隔たりを感じていました。法律やルールで秩序を保つことも重要ですが、それだけでは解決できない問題がある。もっと泥臭く、人に寄り添うような活動に関心を持つようになったのです」。

管理職として組織を率いる経験はありましたが、それはあくまで営利を追求する企業という枠組みの中での話でした。NPOはミッションを追求し、限られたリソースの中で最大限の社会的な成果を目指します。この構造的な違いは、A氏にとって大きな挑戦であると同時に、自身のマネジメントスキルを全く新しい環境で試してみたいという意欲を掻き立てました。

安定を捨てて非営利の世界へ:直面した現実と困難

NPOへの転身を決意するまでには、当然ながら大きな葛藤がありました。まず、経済的な側面です。企業管理職としての安定した収入は、NPOの運営責任者としては期待できません。「収入は以前の半分以下になりました。これは大きな現実です。家族との話し合い、ライフプランの見直しは避けて通れませんでした」。退職金やそれまでの貯蓄を取り崩すことも視野に入れ、綿密な経済計画を立てたと言います。

次に、企業文化とNPO文化の違いへの適応です。企業では比較的明確な階層構造や意思決定プロセスがありますが、NPOではフラットな組織が多く、多様なバックグラウンドを持つ人々(プロボノ、ボランティア、パート職員など)が協働します。「企業では当たり前だったスピード感や、予算確保の論理が通用しない場面も多々ありました。資金は常に課題ですし、意思決定には多くの関係者の合意形成が必要です。また、企業の法務経験は組織運営に役立ちますが、NPO特有の資金調達や広報、ボランティアマネジメントといった知識はゼロからのスタートでした」。

さらに、長年培ってきた「企業人」としてのアイデンティティからの脱却も容易ではありませんでした。「名刺交換一つ取っても、企業の肩書きがない自分に慣れるのに時間がかかりました。社会的な評価や、周囲からの見られ方も変わります。それでも、自分が本当にやりたいことに向かっているのだという信念を持つことが重要でした」。

困難を乗り越え、見出した働きがいとセカンドキャリアの構築

これらの困難に対し、A氏は一つずつ丁寧に向き合いました。不足しているNPO運営の知識は、関連する研修への参加や、他のNPOの運営者とのネットワーク構築を通じて学びました。企業法務で培った論理的思考力や交渉力、リスク管理の視点は、NPOの組織基盤強化や対外的な交渉に大いに役立ちました。「企業での経験が、全く違う形で活かせることを発見できたのは大きな喜びでした。特に、コンプライアンス意識の醸成や、組織のガバナンス強化といった点で、これまでのキャリアが点と点でなく、線となって繋がったように感じています」。

経済的な側面については、徹底した家計の見直しに加え、企業時代のネットワークを活かした単発のコンサルティングワークや、所有する資産の一部を活用するといった工夫も行っています。これは、NPO活動だけでは十分な収入が得られない現実を受け入れつつ、自身の専門性を維持し、多角的な収入源を確保するという、セカンドキャリアにおける現実的な戦略と言えるでしょう。

何よりも、A氏が語るのは、以前にも増して強く感じられるようになった「働きがい」と「社会への貢献実感」です。自身が運営に関わるNPOの活動を通して、高齢者の笑顔が増えたり、地域コミュニティが活性化する様子を目の当たりにすることは、金銭には換えられない大きな充足感をもたらしています。「企業管理職時代には得られなかった、人との繋がりや、社会が少しでも良い方向に向かうことに貢献できているという実感があります。これが、安定を失ったことによる不安を打ち消してくれる最大の支えです」。

セカンドキャリアを考える読者へ:A氏の経験からの示唆

A氏の事例は、安定した地位からキャリアチェンジを考える多くの方々に、いくつかの重要な示唆を与えてくれます。まず、長年培ってきた専門性や管理職経験は、異分野でも予想外の形で活かせる可能性を秘めているということです。重要なのは、自身のスキルを抽象化し、新しい環境でどのように応用できるかを考える視点です。

次に、経済的な現実から目を背けないことの重要性です。特に収入が大きく減少する可能性がある場合、事前の綿密な計画と、複数の収入源を確保するといった現実的な対応が求められます。安定を捨てることは勇気が必要ですが、それによって得られる非金銭的な報酬(働きがい、社会貢献実感、自己成長など)が、そのリスクに見合うものであるかを、自己と深く対話して見極める必要があります。

最後に、キャリアチェンジは単なる転職ではなく、自身の人生観や価値観に基づいた「セカンドキャリアの構築」であるという視点です。A氏のように、特定の社会課題への関心や、自身の経験を社会に還元したいという強い思いが、困難を乗り越える原動力となります。安定したキャリアのその先に、「何のために働くのか」「人生で何を大切にしたいのか」という問いへの答えを見つける旅が、キャリア変革なのかもしれません。A氏の「足跡」は、安定とは異なる尺度でキャリアの充実度を測る生き方があることを教えてくれます。