安定した地位から、メンタルヘルス支援・コーチングの道へ。元管理職が描くセカンドキャリア
安定したキャリアのその先に、求めるもの
長年築き上げた安定したキャリア、特に管理職としての地位は、多くの人にとって一つの到達点であり、そこから新たな道を選ぶことは容易ではありません。特に40代後半ともなれば、組織における責任は増す一方で、自身のキャリアの将来や「これからどのように社会と関わっていくか」といった問いに直面する機会も増えるかもしれません。日々の業務に追われる中で、ふと立ち止まり、これまでとは全く異なる分野、例えば「人の心に寄り添う」ような仕事に価値を見出す方もいらっしゃいます。
ここでは、大企業の管理職という安定したポジションから、メンタルヘルス支援やコーチングの専門家として新たな一歩を踏み出した一人のキャリア変革者の道のりをご紹介します。彼の経験から、安定を離れて挑戦することの現実、得られるもの、そしてセカンドキャリアをどのように構築していくかのヒントを探ります。
事例:安定を離れ、人の心と向き合う道を選んだ佐藤さんの物語
今回お話を伺った佐藤さん(仮名、50代)は、大手電機メーカーで25年間勤務し、部長職として一つの事業部を率いていました。責任は重いものの、やりがいのある仕事であり、経済的な安定も十分にありました。しかし、40代後半に差し掛かった頃から、自身のキャリアについて漠然とした問いを抱き始めたといいます。
「日々の仕事はもちろん大切ですが、それが社会や誰かの人生に直接的に、目に見える形で貢献できているのか、という疑問が頭から離れなくなりました。特に、部下たちのメンタル不調や、組織内の人間関係の難しさに直面する中で、ビジネススキルだけでは解決できない課題があることを痛感したのです。」
佐藤さんをキャリアチェンジへと駆り立てたのは、ビジネスパーソンを取り巻くメンタルヘルスの課題への強い関心でした。自身も過去に激務で心身のバランスを崩しかけた経験があり、働く人々の心の健康を支えることの重要性を肌で感じていたのです。
転身への準備と直面した葛藤
メンタルヘルスやコーチングの世界への関心が高まるにつれて、佐藤さんは情報収集を始めました。週末を利用して関連分野のセミナーに参加したり、専門書を読んだりする中で、この分野で自身の経験を活かせる可能性を感じるようになったといいます。
しかし、長年勤めた会社を辞め、全く新しい分野に飛び込む決断は、想像以上に重いものでした。「安定した収入を失うこと、家族をどう説得するか、本当にこの新しい分野でやっていけるのか。不安は尽きませんでした。特に、周囲からは『なぜ今更、そんなリスクを冒すのか』と心配や反対の声も多く聞かれました。」
経済的な不安を軽減するため、佐藤さんはまず副業としてコーチングの学習を開始しました。認定資格取得のためのスクールに通いながら、知人や元同僚を相手に実践を積みました。この期間は、本業との両立に加え、未知の分野を学ぶための時間確保や経済的負担など、多くの困難が伴ったそうです。しかし、クライアントが抱える課題に寄り添い、変化を後押しできたときの深い充足感が、前に進むための大きな原動力となりました。
最終的に退職を決断したのは、副業での手応えと、この分野でより深く、多くの人に関わりたいという思いが、安定への執着を上回ったからでした。退職後、佐藤さんは個人事業主として独立し、メンタルヘルスに特化したコーチングや研修事業を開始しました。
新たなフィールドでの現実:リスクと充実度のバランス
キャリアチェンジ後の現実は、佐藤さんが想像していた以上に厳しい側面もありました。特に、集客や収入の不安定さは、安定した給与を得ていた前職とは大きく異なる点でした。
「最初のうちは、どうすればサービスを知ってもらえるのか、どのように価格設定をするのが適切なのか、手探りの状態でした。収入は前職の半分以下になり、貯蓄を取り崩す時期もありました。経済的なプレッシャーは常に感じていました。」
しかし、経済的な苦労がある一方で、得られた充足感もまた、非常に大きなものでした。
「クライアントさんが抱える悩みや課題にじっくりと耳を傾け、その方の変化を間近で見守ることができるのは、何物にも代えがたい経験です。『佐藤さんと話せて、本当に心が楽になりました』とか、『自分自身の可能性に気づけました』といった感謝の言葉をいただけると、この道を選んで本当に良かったと感じます。」
前職での管理職経験は、この新しいキャリアにおいても大いに役立っているといいます。多様な人材と関わってきた経験や、組織の課題を理解する視点は、クライアントの状況を深く理解する上で強みとなっています。また、課題解決に向けた論理的思考力や、プロジェクトを推進する力は、自身の事業運営に不可欠なものとなっています。
リスクは高まりましたが、自身の裁量で仕事を選び、時間の使い方もコントロールできるようになったことで、働きがいや人生全体の充実度は大きく向上したと感じているそうです。経済的な安定と心の充足感のバランスをどのように取るかは、常に模索し続ける課題ですが、佐藤さんはこの新しいキャリアパスに確かな手応えを感じています。
セカンドキャリア構築への示唆
佐藤さんの事例から、安定した地位からのキャリアチェンジを考える際に重要ないくつかの示唆が得られます。
まず、キャリアチェンジは単なる転職ではなく、自身の価値観や社会との関わり方を見つめ直す機会であるということです。佐藤さんのように、ビジネススキルだけでは満たされない「人の役に立ちたい」という思いが、新たな道を切り開く原動力となることがあります。
次に、リスクを現実的に捉え、慎重な準備を行うことの重要性です。佐藤さんは、経済的な不安に対し、副業からスタートするという段階的なアプローチを取りました。情報収集、専門知識の習得、経済的な準備など、事前の準備は、キャリアチェンジ後の困難を乗り越えるための基盤となります。
また、キャリアチェンジ後の困難は避けられないものであることを理解し、それを乗り越えるための「しなやかさ」を持つことも大切です。収入の不安定さ、集客の難しさなど、予期せぬ課題に直面した際に、学び続け、周囲に助けを求め、柔軟に対応していく姿勢が求められます。
そして最後に、前職での経験が必ずしも無駄にならないということです。一見全く異なる分野への転身であっても、これまでに培ってきたスキルや経験は、新しいフィールドで予期せぬ形で活かされることがあります。自身の経験をどのように再解釈し、新しいキャリアに繋げていくかという視点が重要です。
安定したキャリアからの転身は、大きな勇気と周到な準備を必要とします。しかし、自身の内なる声に耳を傾け、社会との新たな接点を見出すことは、人生後半のキャリアをより豊かで充実したものにする可能性を秘めているといえるでしょう。佐藤さんのように、困難を乗り越え、心の充足を追求する道を選ぶことは、多くのキャリア変革を志す方々にとって、貴重な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
キャリア変革は、決して容易な道ではありません。しかし、その一歩を踏み出すことで開ける新しい景色は、計り知れない価値をもたらす可能性があります。自身のキャリアの可能性について考える際、このような事例が何かしらのヒントになれば幸いです。