安定した大企業を辞め、スタートアップへ飛び込んだ元管理職の挑戦
安定から未知へ:なぜ大手管理職はスタートアップを選んだのか
多くのビジネスパーソンにとって、「安定した大企業の管理職」という立場は、一つの到達点と見なされるかもしれません。長年のキャリアで培った経験やスキルが集約され、相応の責任と報酬、そして確かな地位があります。しかし、中にはその安定を離れ、未知なる世界、例えばスタートアップへのキャリアチェンジを選択する人もいます。なぜ、彼らは安定を手放し、リスクを伴う新たな挑戦へと踏み出すのでしょうか。
本稿では、長年大手企業で管理職を務めた後、スタートアップへのキャリアチェンジを果たした一人の人物の事例を通じて、その動機、直面した困難、そしてキャリア変革から得られる示唆について考察します。これは、現状の安定に満足しつつも、どこか満たされない思いや、キャリアの次のステージについて考えている多くの読者にとって、自身のキャリアを考える上で示唆に富む内容となることでしょう。
事例:佐藤さん(仮名)、大手総合商社から環境系スタートアップへ
今回ご紹介するのは、仮に佐藤さんとしましょう。佐藤さんは40代後半。新卒で国内の大手総合商社に入社以来、一貫してエネルギー分野に関わってきました。プロジェクトマネージャー、そして部門の管理職として、数億、数十億円規模の事業を動かし、多くの部下を率いる立場にありました。組織内での評価も高く、経済的な安定はもちろん、社会的な信用も確立されていました。
そんな佐藤さんが、設立間もない環境系技術を開発するスタートアップ企業へ転職を決意したのは、今から数年前のことです。周囲からは驚きの声が上がり、中には「正気の沙汰ではない」と心配する人もいたといいます。安定した地位を捨て、ネームバリューもない、成功するかどうかも分からないベンチャー企業へ飛び込む選択は、一般的にはリスクの高いものと見なされるでしょう。
では、佐藤さんを突き動かしたものは何だったのでしょうか。
キャリアチェンジを決断した背景と動機
佐藤さんがキャリアチェンジを考え始めたのは、40代を目前にした頃でした。大手企業での仕事はやりがいもありましたが、組織の規模ゆえの意思決定の遅さや、既存事業の維持に主眼が置かれがちな状況に、少しずつ物足りなさを感じるようになったといいます。特に、自身の関わってきたエネルギー分野が大きな変革期を迎える中で、「もっとダイナミックに、スピーディーに社会課題の解決に貢献できる仕事がしたい」という思いが募っていったそうです。
また、管理職として部下の育成や組織運営に注力する一方で、自身が直接的に事業の創造や新しい価値の創出に関わる機会が減っていることへの危機感もありました。「このままでは、自分のスキルや情熱が陳腐化してしまうのではないか」という焦りを感じ始めたのです。
そんな中、友人を通じて紹介されたのが、ある環境技術系のスタートアップでした。その企業は、地球温暖化対策に貢献する画期的な技術を持っており、まさに社会課題の解決に直結する事業を展開していました。規模は小さいものの、経営者の熱意、社員の主体性、そして目指しているビジョンの大きさに触れ、佐藤さんは強い衝撃を受けました。
「ここなら、自分のこれまでの経験を活かしつつ、本当に自分がやりたいこと、社会に貢献できる実感を持ちながら働けるかもしれない」。安定した立場や経済的な保証を手放すことへの不安は当然ありましたが、それ以上に「このチャンスを逃したくない」という思いが勝ったのです。
キャリアチェンジに伴う困難と現実
スタートアップへの転職は、順風満帆な道のりだけではありませんでした。佐藤さんは多くの困難に直面したといいます。
まず、経済的な側面です。大手企業時代の役員クラスの報酬と比較すれば、スタートアップの給与は大幅に下がりました。また、退職金制度なども大手企業ほど確立されておらず、将来への経済的な不安は小さくありませんでした。家族との話し合いも重要であり、一定の理解は得られたものの、具体的な生活レベルの変化や将来設計の見直しは避けて通れませんでした。
次に、組織文化と働き方の違いです。大手企業では整然と組織化された中で、役割分担が明確でした。しかし、スタートアップでは良くも悪くも「何でも屋」であることが求められます。専門外の業務に手を出したり、インフラが整っていない中で自ら環境を整備したりする必要がありました。会議一つとっても、大手企業のような丁寧な根回しや承認プロセスはなく、その場での即断即決が求められる場面が多くありました。このスピード感と、ある意味での「泥臭さ」への適応は、最初は戸惑いの連続だったそうです。
また、管理職として部下を率いる立場から、再びプレイヤーとして現場の最前線に立つことへの適応も必要でした。指示を出す側から、自ら手を動かし、時には失敗も経験しながら学ぶ側へ。プライドが邪魔をすることもありましたが、「新しいことを学ぶ楽しさ」がそれを乗り越える原動力になったといいます。
困難を乗り越え、得られた学びと価値
これらの困難に対して、佐藤さんはどのように向き合ったのでしょうか。
一つは、「謙虚に学ぶ姿勢」を持ち続けたことです。大手企業での経験は確かに大きな財産ですが、スタートアップの環境やそこで求められるスキルは異なります。特に若いメンバーが持つ新しい技術やアイデアに対し、耳を傾け、積極的に吸収することで、自身の視野を広げることができました。
次に、「経験の活かし方」を意識したことです。大手企業で培った大規模プロジェクト推進の経験、関係各所との調整能力、リスク管理の視点などは、スタートアップの成長フェーズにおいて非常に価値のあるものでした。自身の経験を一方的に押し付けるのではなく、スタートアップ特有の状況に合わせて柔軟に応用することで、組織に貢献することができたといいます。
そして、「目的意識の明確さ」です。「社会課題解決に貢献したい」「新しい価値を創造したい」という強い動機があったからこそ、経済的な不安や働き方のギャップといった現実的な困難も乗り越えることができました。何のためにキャリアチェンジしたのか、という原点を忘れないことが、モチベーション維持には不可欠だったのです。
スタートアップでの挑戦を通じて、佐藤さんは大手企業では得られなかった多くのものを手に入れました。自身の貢献がダイレクトに事業の成長や社会への影響に繋がる実感、大きな裁量を持って仕事を進める自由さ、そして、年齢や役職に関係なくフラットな立場で意見を交換し、共に事業を創り上げていくチームの一員であるという感覚です。経済的な安定と引き換えに、仕事そのものの「働きがい」や「充実度」は飛躍的に向上したと佐藤さんは語っています。
セカンドキャリアの構築と読者への示唆
佐藤さんの事例は、キャリアの後半に差し掛かった40代後半の管理職が、安定した地位を離れてもなお、新たな挑戦を通じてキャリアを「変革」させることができることを示しています。スタートアップという選択肢は、経済的なリスクや働き方の違いといった現実的な課題を伴いますが、それ以上に、自己成長の機会、社会への貢献実感、そして何より仕事への深い充実感を得られる可能性があります。
セカンドキャリアをどのように構築するかという問いに対し、佐藤さんの事例は一つの明確な方向性を示唆しています。それは、これまでの経験やスキルを活かしつつも、自身の「やりたいこと」「社会に貢献したいこと」といった内なる動機を重視し、新しい環境で学び続ける姿勢を持つことです。安定したキャリアの終着点を迎えるのではなく、自身の意志で新たなスタートを切ることで、キャリアの可能性は大きく広がります。
キャリア変革は決して容易な道のりではありません。葛藤や困難は必ず伴います。しかし、佐藤さんのように、安定を一時的に手放すことで、それまで見えなかった景色が見えたり、予想もしなかった自己成長を遂げたりすることも事実です。もしあなたが、現状の安定に安住することなく、人生の後半戦で何を成し遂げたいのか、どのように社会と関わっていきたいのかを考えているのであれば、この事例があなたのキャリア変革の一歩を踏み出す勇気になることを願っています。大切なのは、自身のキャリアを他者任せにせず、主体的にデザインしていくことなのです。