大手企業の管理職から、感性を仕事に。アートプロデューサーとしてキャリアを再構築した変革者の実像
安定の地位から未知の世界へ:キャリア変革の始まり
長年、大手企業の管理職として組織の歯車となり、安定した地位と相応の収入を得ていたAさん(50代)。順風満帆に見えたキャリアの裏側で、漠然とした物足りなさや、自身の内にある感性や創造性をもっと活かしたいという思いが募っていきました。特に40代後半に差し掛かり、今後のセカンドキャリアについて考える中で、会社組織の中での役割継続だけでは得られない「何か」を強く求めるようになったといいます。
Aさんの関心は、長年個人的な趣味として親しんできた現代アートへと向かいました。美術館巡りや作品収集を通して、アートが持つ社会への影響力や、クリエイターたちの情熱に触れるうち、「ビジネスの視点とアートを結びつけ、文化の発展に貢献する仕事があるのではないか」と考えるようになります。これが、アートプロデューサーという、当時のAさんにとっては全く未知の世界への関心の始まりでした。
安定した管理職としてのキャリアを捨てる決断は、決して容易なものではありませんでした。家族や周囲の理解、そして何よりも、収入の不安定さに対する不安は大きな壁として立ちはだかりました。しかし、残りのキャリア、ひいては人生を本当に情熱を傾けられることに費やしたいという内なる声に突き動かされ、Aさんはアートの世界への転身を決意します。これは、単なる転職ではなく、自身の価値観と向き合い、生き方そのものを変革する一歩でした。
異分野への挑戦:準備と直面した現実
キャリアチェンジを決意したAさんは、まず情報収集から始めました。アート関連の書籍や雑誌を読み漁り、専門学校の公開講座に参加。実際にアート業界で働く人々のブログやSNSをフォローし、どのようなスキルや知識が求められるのかを具体的に把握しようと努めました。同時に、これまでの企業での経験がアートの世界でどのように活かせるのかを模索し、自身の強みと照らし合わせる作業を行いました。
転身への具体的な準備として、Aさんは会社員として働きながら、週末や有給休暇を利用してアートイベントのボランティアスタッフとして参加したり、ギャラリーの運営を手伝ったりと、実践的な経験を積み始めました。これは、アート業界の現実を知るためだけでなく、この世界で生きていけるか自身の適性を確かめるための重要なステップでした。幸いにも、企業でのプロジェクトマネジメントや交渉、予算管理といったスキルは、アートイベントの企画・運営においても大いに役立つことを実感しました。
しかし、いざ会社を退職し、アートプロデューサーとして活動を開始すると、すぐに厳しい現実に直面します。最も大きな変化は、収入の不安定さでした。それまでの安定した月給は一切なくなり、プロジェクト単位での報酬や、まだ実績のない自分への依頼は非常に少ない状態からのスタートでした。貯金を切り崩す日々が続き、経済的な不安は想像以上に大きいものでした。
また、これまで築いてきた企業での人脈は、アート業界ではゼロからのスタートでした。業界特有の慣習や人間関係にも戸惑い、自身のこれまでの常識が通用しない場面も多々ありました。さらに、アートに関する専門知識やトレンドへのキャッチアップは想像以上に早く、継続的な学習が不可欠であることを痛感しました。安定した環境から一転、常に未知への挑戦と不安がつきまとう日々でした。
困難を乗り越え、得られた「働きがい」
経済的な苦境や未経験分野での挑戦という困難に直面しながらも、Aさんは立ち止まりませんでした。収入の安定のために、まずは比較的小規模なプロジェクトや、これまでのビジネス経験を活かせる企業との連携案件を積極的に探しました。また、自身の強みである「ビジネス感覚を持ったアートの理解者」というユニークな立ち位置をアピールし、他のプロデューサーとの差別化を図りました。
困難を乗り越える上で大きかったのは、異分野からの視点を持つことの重要性でした。企業で培った論理的な思考力や課題解決能力は、アートプロジェクトの計画段階や予期せぬトラブル発生時において、冷静かつ的確な判断を下す上で役立ちました。また、多様なステークホルダー(作家、ギャラリスト、企業、行政、観客など)との間に立ち、それぞれ異なるニーズを調整し、プロジェクトを成功に導くコミュニケーション能力は、管理職として多くの経験を積んだからこそ得られたものでした。
経済的な安定にはまだ時間を要するものの、Aさんはアートプロデューサーとしての活動から、企業勤めでは得られなかった大きな「働きがい」を見出しています。それは、自身の感性や創造性を直接仕事に反映できる喜びであり、作家と共に一つの作品やイベントを創り上げていく達成感です。また、アートを通して社会に新しい価値を提供できること、多様な人々と出会い、共に学び合える環境に身を置けることに大きな充実感を感じています。収入は減ったかもしれませんが、自身の時間や情熱を何に使うか、という「人生の充実度」は格段に増したとAさんは語ります。
セカンドキャリアを構築する上で大切なこと
現在、Aさんは小規模なアートイベントのプロデュースや、企業へのアート導入コンサルティング、若手作家の支援などを手がけ、アートプロデューサーとして着実にキャリアを築き始めています。安定した地位を離れ、全く新しい世界へ飛び込んだ経験を通して、Aさんはセカンドキャリアを構築する上でいくつかの重要な示唆を得ました。
一つは、「自身の内なる声に耳を傾ける勇気」です。安定や常識にとらわれず、本当に情熱を傾けられるもの、自身の価値観に合ったものを見つけることの重要性です。二つ目は、「異分野の知見を結合させる力」です。これまでの経験は無駄になるわけではなく、新しい分野でこそ独自の価値を生み出す源泉となり得ます。自身のバックグラウンドを否定せず、むしろ強みとして捉える視点が大切です。三つ目は、「計画性と柔軟性のバランス」です。無計画な衝動だけでは困難に直面した際に立ち行かなくなりますが、計画に固執しすぎず、状況に応じて柔軟に対応していく姿勢も不可欠です。
Aさんのキャリア変革は、安定した環境にいる人々に対し、必ずしも現在の延長線上にだけキャリアがあるわけではないことを示唆しています。特に40代後半からのキャリアを考える上で、これまでの経験やスキルを活かしつつも、自身の「好き」や「価値観」を深く探求し、それをどのように社会と繋げていくかを考えることの重要性を教えてくれます。安定を手放すことへの不安は現実としてありますが、それに見合うだけの「働きがい」や「人生の充実度」を、セカンドキャリアで実現できる可能性は十分に存在するのです。キャリア変革は、リスクと引き換えに、自分らしい生き方を手に入れる旅なのかもしれません。